「鬼滅の刃公式ファンブック鬼殺隊見聞録 弐」で、柱と呼ばれるキャラクターたちの、お互いの印象についての設定がある。それで、恋柱の甘露寺蜜璃(桜餅を食べ過ぎて髪の毛の色がピンクと緑になった人)に対しての印象で、ちょっと考えこんでしまった。
 音柱・宇随天元と風柱・不死川実弥が、甘露寺さんに対して「変な女」(要約)と思っていることが明言されていたのだ。なんだかこの設定だけ妙にリアルで笑ってしまった。hydeが大石恵と結婚したように、ぶっとんでそうな人でも普通のカワイイ女が好き、みたいな。でもちょっとショックも受けた。多分私は変な女だと思われることに対して敏感すぎるんだと思う。鬼滅の刃のアニメの2期は遊郭編~刀鍛冶の里までやって、もしかしたら多少柱稽古もあるのかな。そこから無限城(最終決戦)が、前後編か三部作あたりで映画化とかがありそうな筋に思える。
 

 キングスマンの新作の公開が8月になった。遅いけど頑張って待つ。
「クレヨンしんちゃん モーレツオトナ帝国の逆襲」がNetflixに入っていたので見る。何度か見たことがあるけど、なんとなくかけてしまうことが多い。というかフツーのアニメの劇場版で大人とか世界がおかしくなってしまう不安感を描いているところが面白くて見てしまう。
 オトナ帝国を作り上げたいカップル、ケンとチャコが昭和の街並みを再現した箱庭の中で、「街がこういう見た目だったときは人々には希望があった」と言っていた。しかしそれは明らかな事実誤認というか、因果関係にすらなっていないただの懐古趣味の発露だ。でも彼はそれが本当だと思っている。中盤以降はちょっとわからないけど……。
 「オトナ帝国~」では、大人は子供になり、かすかべ防衛隊の5人や、日本の子供たちは否応なしに大人ぶった行動をしなければならなくなる。大人は子供のように振る舞い、ふたば幼稚園の園庭やコンビニの店頭でたわいない遊びに明け暮れる。しんのすけは、二十世紀博に向かうひろしとみさえを追いかけるが、彼らは自分たちの子供になんて興味をなくしている。
 自分は大人になれているのか自信がないけど、ただ年老いた子供のように思うことがある。というか良くも悪くも心が若い感じの人が周りに多い。自分の趣味に自信があるのに認めてくれない社会へ承認欲求をこじらせている人とか。類は友を呼ぶということか。そもそも大人の振る舞いというものも、ただ社会的に要請された役割を演じているだけのように思える。仲間うちで、無邪気に大縄跳びをする大人だっているだろう。(すべてを投げ出してやる人はいないだろうけど)私は子供らしい子供になれなかったけど、いざ大人になってみれば自分の情けなさとか頼りなさにうんざりしているばかりです。
 あと、東京オリンピック2020年、大阪万博2025年なんて時代に逆行している感じがする。なんていうか、そのころそういうものを誘致していた人を見ていた世代が、「自分も何かを成し遂げたい」と思って絞り出した政治的活動がそれだったみたいな印象を受ける。私が生まれた時には、そういう国家としての進歩を表現する物語自体が失われていて、そのままずっと20年以上経ったのだろう。自分はジェネレーションZと呼ばれる世代らしいけど、それってアメリカの社会的分析だけなのかな? ミレニアルズのほうがもう注目されているからしょうがないか。
 

 県立神奈川近代文学館で「創刊101年記念展 永遠に『新青年』なるもの ――ミステリー・ファッション・スポーツ――」という展示をやるみたいです。2021年3月20日から。
 主な出品資料を以下引用。
 

■主な出品資料(ゆかりの大学、各地の文学館、博物館、個人が所蔵する貴重資料約600を展示)
江戸川乱歩「D坂の殺人事件」草稿  立教大学江戸川乱歩記念大衆文化研究センター寄託
大下宇陀児「硝子の街」草稿  箕輪町郷土博物館蔵
小栗虫太郎「黒死館殺人事件」原稿  世田谷文学館蔵
小栗虫太郎「完全犯罪」原稿  成蹊大学図書館蔵
木々高太郎「睡り人形」(「ねむり妻」)原稿  山梨県立文学館蔵
甲賀三郎「失業二人男」草稿  個人蔵
小酒井不木「犯罪文学研究」草稿  名古屋市蓬左文庫蔵
谷崎潤一郎「武州公秘話」原稿  芦屋市谷崎潤一郎記念館蔵
夢野久作「ドグラ・マグラ」草稿  福岡県立図書館寄託、九州大学附属図書館付設記録資料館寄託
横溝正史「八つ墓村」原稿  二松学舎大学附属図書館蔵、世田谷文学館蔵
「新青年」掲載挿絵原画(松野一夫、木村荘八、初山滋ほか)  個人蔵
(県立神奈川近代文学館ホームページより引用)

 いろいろあって目移りしそう! ただ懸念がひとつ。私、原稿の手書きの文字を判読するのがかなり苦手。苦手というか、目が滑るというか。世田谷文学館でやってた澁澤龍彦展のときもそうだったけど、結局読むのに疲れるのと、ショーケースに張り付いている人が多くてあまりやる気が起きないのです。「文豪ストレイドッグス」とのコラボもするらしいから、江戸川乱歩(文ストのキャラクター)ファンとか谷崎潤一郎(文ストのキャラクター)ファンの集客も見込めるのですかね。

 将来何になっていたいかを考えるような課題が出るたびに困っていた。
大学1年生のころは、クリスチャンディオールのワンピースを来て大きな椅子に座って笑っていたいと思っていたような気がする。でもそんなのすぐ叶えられそうなことだ。5歳の頃の夢は「加護ちゃんになること」だったけど、そちらの方がよほど夢がある。小学生のころは漫画家になりたいと言っていたし。もっと私的な領域の目標に関しては、人生のマイルストーンになるような出来事を、いつ頃行うかを目標に逆算して全ての物事を恙なく行うことが正しい「夢」の叶え方なのだろうか、とも思う。ビジネスならそういう視点が必要なのは理解できる。
 でも、将来のために今を使い続けるって、時間銀行に時間を預ければ命が2倍になるみたいなそういう話に感じられてくる。
 1月から3月って、春先の浮ついた空気がどんどん浸食してきて嫌いだという話がしたかったんだけど。

 さんざん文句を言っていましたが、ちょっと前にBunkamuraに金子国義の展示販売を観に行ってきました。なんかいろんな場所で毎年やっているような気もする。見たことない本も結構置かれていて良かったです。あとは隣でSIX ARTISTS -夢の中の夢-というものがやっていたのでそれも観た。台湾とか中国の今まで知らなかったアーティストがいて面白かった。猫の絵とか、美人画、幻想的な風景とかが多かったかな。あとは小さめのトルソーや、ビジュアルに使用されているケット・シーのような人形(EARTH INVADORという作品らしい)がありました。
 帰りに地下のNADiffを流し見したけれど、ここは展示ごとに店頭に並べる本も変わっているように思う。あの、オープンスペースになっているカフェのあたりに出ている什器のところがそういうゾーンなのかな。ローレンス・アルマ=タデマや、フェリシアン・ロップス(中身がフランス語で読めない)、ヒエロニムス・ボッシュの「悦楽の園」の大型本とかが置いてあって、やっぱりわくわくする品揃えだなあと感じました。
 今は書物の王国シリーズの2、「夢」を読んでいる途中で、ずーっと続けて読んでいると頭が持っていかれそうになる。

 われわれには言葉はもうたくさんだ。彼が鉛筆を立てると、その影が木と鉛の塔となって新しいページの上に落ちた。彼が鉛筆の塔を指でもてあそぶと、親指の爪の半月が鉛の尖塔のうしろで、昇ったり沈んだりした。塔が倒れた、言葉の市が、詩の壁が、均整のとれた文字が崩れた。光が消え、太陽が異国の朝に向かって駆け下り、海の言葉が転々と太陽の上をよぎると、彼は暗号の崩壊を記した。夜が来たとき、彼は倒れた塔に向かって、「イメージ、すべてイメージ」と叫んだ。「海は誰の竪琴か。太陽は誰の燃えるローソクか。」人間のイメージとなって彼は立ち上がり、カーテンを開けた。直喩のように、平安が町の屋根の上に横たわった。「イメージ、すべてイメージ」と、窓から平らな屋根へと踏み出しながらマーレイズは叫んだ。(「果樹園」ディラン・トマス著,海野厚史訳『書物の王国 夢』1998年7月21日,国書刊行会)

 夢日記をつけると狂うっていうのが実感として迫ってくるというか、「パーフェクトブルー」や「トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス」のような、フィクションであるはずのものが現実へと干渉してくる(現実を認識する自己というものが不確かになる)感覚が味わえる。

 なんか観たい映画が全然やっていないと思ったら、公開延期している作品がすごく多いんですね。
コナンは1年遅れたおかげで全世界同時公開をするらしい。いっそ銀魂でも観に行くかと思ったけど、漫画は30巻くらいで挫折してしまっているので、それでも楽しめるのか不安。

 石岡瑛子展で、石岡瑛子がディレクションを担当したビョークのCOCOONという曲のPVを初めて観た。
安部公房の「赤い繭」を思い出した。乳首から赤い糸が出るのはちょっと予想外でした。
 展示自体は良かったけど、もうちょっと衣装がたくさんあれば嬉しかったかな。「落下の王国」とか、一着飾るだけでもすごく大変なんだろう。美術館に併設のNADiffはいつ行っても書籍の棚のラインナップがほぼ同じなんですけど、本は売れてないのかな?
 遠かったけど行って良かったです。

 金子國義展に行きたいけど渋谷に行きたくない。14日までなので早くしないと。
Bunkamura自体は好きです。たぶん心を殺してから行きます。渋谷もライブハウスとかたくさんあるし実際行ったことがある場所も多いんだけど、なんとなくいつも億劫なんですよね。
 ジェラートピケのパジャマをMODIの店舗で買ったことと、Bunkamuraで「ヴァージン・スーサイズ」のリバイバル上映を観に行ったことくらいがよい思い出でしょうか。あと一番大事なのはWOMBでヴァイオレット・チャチキの初来日パフォーマンスを見たこと。意外といい思い出がたくさんあった。たぶんそれくらいやりたいことがないと行かないからでしょうね。

たぶんすぐ忘れるけど買いたいもの。
・「TOKYO SWEET GWENDOLINE」空山基、ロッキン・ジェリービーン、寺田克也著。河出書房新社。
空山基はアイボのデザインの仕事が一番有名かな。72pで4000円くらいする。画集ってそういうものですけどね……。あとジョン・ウィリーの古本も欲しい。一気に15万くらい使えば欲しい本はほぼ買えると思えば安いか。
・mame kurogouchi 2021S/Sの服。でもなんか同じブランドばっかり好きで買ってるの恥ずかしくなってきた。自意識過剰。
・CELINEのカバスモール(本当に必要?)か、FENDIのバイザウェイ。どちらも色は黒かグレージュっぽいのがいい。
・ロジェ・ヴィヴィエの「アイラブ ヴィヴィエ」パンプスの5cmヒール
VIVARIUM(2019) ホラー映画? 3月12日に公開。なんかTOHOシネマズの解説で、「“Yonder”と呼ばれる住宅街」とあるけど、yonderって単語って「あそこに」とか「あそこの」としか意味しないんじゃないかなあ。
・「女の園の星」2巻 和山やま著 祥伝社 3月8日発売。
・「ねこぢる大全」上下、ねこぢる著、文藝春秋。10年くらい前に出たもの。ナガノ先生の「なんか小さくてかわいいやつ」を読んでいたらねこぢるを読みたくなった。常に豚が殺されたり人間も簡単に死んだりするけど、ちいかわワールドもほぼ同じじゃないですか?
・炊飯器とBlu-rayプレイヤー

 国会図書館に行って過去の雑誌を漁りたい!
 最近は近所の公立図書館を利用していますが、幻文者がいるのか、国書刊行会の書物の王国シリーズやらバベルの図書館シリーズが開架で棚におさまっています。ありがたい話だ。なので、1冊ずつ借りて読んでいる。木地雅映子の書籍もなぜか全部あるし。「マリみて」は途中で止まっているけど……。取り寄せてもらわないといけないな。
 柚木麻子の『BUTTER』(2017年、新潮社)も、ずーっと気になってはいたので読んでみた。結構わかりやすくモチーフが配置されて話が進むので面白い。梶井真奈子に指示されるがままにバターを食べたり料理をしたりして太っていく主人公。思考も操られつつあるのを、親友が止めてくれる。「カジマナ」の理想とする食生活って、消化器から血管の至るところ、脳にまで脂肪が詰まって黄色くなりそうでげんなりしながら読んだ。
 ドラマとかになれば、とは思うけど実際の被害者がいる話がモデルなのをメディアミックスすることはできませんよね……。『ナイルパーチの女子会』なんかは映像化されるみたいだけど。エンタメ小説も好きだけど、わかりやすく話が進んでいく感じが気持ち良くもあり、わかりやすすぎると思うこともあり、で自分わがままだなと思う。単純に「おもしろいもの」を求めて読むとよいのかな。
 ただ、エンタメだと思って読んでいると思いもしない「歪み」みたいなものに面して心臓が抜け落ちるような気持ちになることもあるので、いろんな出会いをしたいとは思います。