さんざん文句を言っていましたが、ちょっと前にBunkamuraに金子国義の展示販売を観に行ってきました。なんかいろんな場所で毎年やっているような気もする。見たことない本も結構置かれていて良かったです。あとは隣でSIX ARTISTS -夢の中の夢-というものがやっていたのでそれも観た。台湾とか中国の今まで知らなかったアーティストがいて面白かった。猫の絵とか、美人画、幻想的な風景とかが多かったかな。あとは小さめのトルソーや、ビジュアルに使用されているケット・シーのような人形(EARTH INVADORという作品らしい)がありました。
帰りに地下のNADiffを流し見したけれど、ここは展示ごとに店頭に並べる本も変わっているように思う。あの、オープンスペースになっているカフェのあたりに出ている什器のところがそういうゾーンなのかな。ローレンス・アルマ=タデマや、フェリシアン・ロップス(中身がフランス語で読めない)、ヒエロニムス・ボッシュの「悦楽の園」の大型本とかが置いてあって、やっぱりわくわくする品揃えだなあと感じました。
今は書物の王国シリーズの2、「夢」を読んでいる途中で、ずーっと続けて読んでいると頭が持っていかれそうになる。
われわれには言葉はもうたくさんだ。彼が鉛筆を立てると、その影が木と鉛の塔となって新しいページの上に落ちた。彼が鉛筆の塔を指でもてあそぶと、親指の爪の半月が鉛の尖塔のうしろで、昇ったり沈んだりした。塔が倒れた、言葉の市が、詩の壁が、均整のとれた文字が崩れた。光が消え、太陽が異国の朝に向かって駆け下り、海の言葉が転々と太陽の上をよぎると、彼は暗号の崩壊を記した。夜が来たとき、彼は倒れた塔に向かって、「イメージ、すべてイメージ」と叫んだ。「海は誰の竪琴か。太陽は誰の燃えるローソクか。」人間のイメージとなって彼は立ち上がり、カーテンを開けた。直喩のように、平安が町の屋根の上に横たわった。「イメージ、すべてイメージ」と、窓から平らな屋根へと踏み出しながらマーレイズは叫んだ。(「果樹園」ディラン・トマス著,海野厚史訳『書物の王国 夢』1998年7月21日,国書刊行会)
夢日記をつけると狂うっていうのが実感として迫ってくるというか、「パーフェクトブルー」や「トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス」のような、フィクションであるはずのものが現実へと干渉してくる(現実を認識する自己というものが不確かになる)感覚が味わえる。