引き続き学生の頃の手帳を見ていたらうわーって感じの行動をしている一日があった。
教文館→シャネル→マリアの心臓という移動経路。
そのときシャネルではサラ・ムーンの展示をやっていて、しかも無料だったので何度か足を運びました。
たぶん松屋銀座のトムフォードで買い物して帰るのが鉄板でした。
しかしマリアの心臓も閉館してしまった。いったん入場したらかなり長居していたのですが貴重な体験だったな。銀座一丁目駅から近かったのですが採算とかとれなさそうではあったし……。
最近いいと思ったのはTHE GINZAとセルジュルタンスが同居する資生堂の新しいビル。
でももう寒すぎて外出できません。
部屋を掃除していたら、探していた昔の手帳を見つけた。意外ときちんと書いていたんだけど、「△△先生と面談」という予定について、その人が誰だったか全く思い出せなかった。たぶん常勤の先生じゃなかったんだと思うけど。たぶんそのときドイツ神学の授業を受けていたので、色々メモしていたのが面白かった。
1.歴史は、あらゆる神学体系が構築される基盤としての情報を開示することができないという信念
2.神とはどのようなものであるかについてあらかじめ決定する理性の能力への信頼
3.完全なる神は苦しむことができないという信念
J.モルトマン、E.ユンゲルによる啓蒙主義への3つの疑問(A.E.マクグラス『歴史のイエスと信仰のキリスト』キリスト新聞社、2011年)
なんか神学に関する本ってどうしても重くて分厚くて何書いてあるかわからないしドイツ語も読めないっていう状態になると思う(そもそもキリスト教になんて誰も興味がないのでしょう)けど面白いので読んでみてほしい。むしろ無意識下で欧米諸国にいた作者が何を考えていたのか、何に影響を受けたのかを探るうえでキリスト教について知ることは必須だと思う。特に海外文学とかファンタジイとか好きならちょっとくらい興味を示してくれないものかな。だいたいそういうときに自らを「無宗教」と言い切ることができるその無自覚さを羨ましく思うこともありますが。
エホバいひたまふ、エフライムは我愛するところの子悦ぶところの子ならずや 我彼にむかひてかたるごとに彼を念はざるを得ず 是をもて我膓かれの爲に痛む 我必ず彼を恤むべし(エレミヤ書31章20節)たぶん新共同訳の旧約だとp.1236に同じ箇所がある
キリスト教の神がいうところの赦罪の動機みたいですが……。
私はクリスチャンではないので、とりあえずこういう理由なのかもなと思う程度にとどめておきます。
Megan Thee Stallion(WAPでCardi Bとコラボしているラッパー。博士課程在籍中)の新曲も可愛いです。
John Willieが描くところの拘束された女性を彷彿とさせるフェティッシュな感じがする。あとのスタイリングはちょっと文脈を知らな過ぎて評価しにくいのですが、目隠しのやつはDita Von Teeseなんかも着られそう。どちらかというとドラァグクイーンの衣装のそれに近いような気もするけど。このPVで共演しているモデル、Blac ChynaはRPDRのSeason9、Nina Bo’nina Brownの一件で妙にいじられていて知った。
LiSAが歌う「炎」がApple Musicの全世界チャートで7位に入ったと、いつだかテレビでやっていたんだけど……。
ずーっと1位なのはCardi Bの「WAP」で、それも映ってたけど当然スルーされていた。
歌詞はやばすぎるので翻訳しません。WAPじたいがWet Ass Pussyの略ということから察してほしい。
けっこうヘビーローテーションしてます。ずーっと流れているThere’s some whores in this house.という文章が頭から離れなくなる。まあずっと前から流行していてTikTokで家族に聞かせてみてリアクションを見る動画とかがYoutubeに転載されている。英語を理解する家族にしかできないことですが。
週刊少年ジャンプの招かれざる客である私ですが漫画が大好きで今迷っていることがあります。
以下の漫画のどれを大人買いするかということです。
BEASTARS(板垣巴留著、秋田書店)はkindleで揃えたんですが……。
・『闇金ウシジマくん』(真鍋昌平著、小学館)
→完結済み、全46巻、新品で揃えた場合約2万8千円。あと読んだら気持ちが落ち込むから家に置きたくない。
・『HUNTER×HUNTER』(冨樫義博著、集英社)
→完結してないしする気配もない。既刊36巻、新品揃えた場合約1万8千円。休載している間に鬼滅の刃が完結しましたが……。いちおう初期はちょっと掲載がかぶってたのかな?
・『チェンソーマン』(藤本タツキ著、集英社)
→第1部が今週終わったのかな? 既刊10巻、だいたい5000円あればわかる。続編がジャンプ+(ジャンプラ)で連載なのが面倒くさいというか本誌でやってくれと思う……。SQもそうなんだけどああいう増刊号とか本誌から分派した何かが大量にある雑誌は忘れる。これは自分の頭の問題。
・『呪術廻戦』(芥見下々著、集英社)
→既刊13巻、どんどん盛り上がってる感じ。だいたい7000円あれば買えるかな? ポスト鬼滅とか言われてるけど実際どうなんだ。
あとは森薫『乙嫁語り』の買ってない巻がどれかわからなくて(実家に置いてあるため何巻まで買っているかいつも忘れる)読めていないのでそれを追いかけたい。
私、漫画で次に流行するものを見抜くセンスは特にないので『鬼滅の刃』は『サムライうさぎ』とか『保健室の死神』みたいに、ジャンプ好きで読んでるひねた人間には愛されるけどマスに受けるものじゃなさそうと思ってた。けど、流行していて驚く。
『鬼滅の刃』はみんなどう思っているかは知らないけど作者は確実に人体損壊描写をやりたいがために鬼っていう存在をボコボコにしてるだろ、と思ってます。劇場版で敵の鬼が「お前も鬼にならないか?」と、若く強く美しい見方役のキャラクターを勧誘するんですが、鬼は作者の思いを代弁している感情が漏れ出ているように感じられてならなかった。
「素晴らしき才能を持つ者が醜く衰えてゆく 俺はつらい耐えられない 死んでくれ杏寿郎 若く強いまま」(「鬼滅の刃」63話)
「死ぬ…!!死んでしまうぞ杏寿郎!鬼になれ!!鬼になると言え!!」(同上、64話)
若く強いままでいられない姿を見ているのがつらいから自分の手で殺すんだってセリフをCV石田彰でやるって趣味悪いなー(褒めてます)。あんなふうな殺し合いや、若い男が若い男を嬲り殺す一連の流れが収録されている映画が興行収入300億円以上なんだから、アーバンギャルドじゃないけど「日本は、病気」だと思う。まあもともと一位で居続けた『千と千尋の神隠し』自体、湯屋という場所で働くことになる10歳の少女という何とも言えない設定なのを考えればそんなものなのかな。
『鬼滅の刃劇場版 無限列車編』を一緒に見に行った友人(おたくではない)はボロボロ泣いてデトックスになったから仕事頑張れるわーと言っていたので、そういう見方はしないのが「普通」というやつでしょうか。
「文豪怪奇コレクション 幻想と怪奇の夏目漱石」(2020年11月15日、双葉社)を読んでいて頭から離れなくなった句があった。
あんかうや孕み女の釣るし斬り
明治28年に発表された句らしい。魚のあんこうをさばくときって下顎の部分をぶっとい針に通して吊るすんだけど、そのあんこうの身体の重さと妊娠した女性のお腹の膨らみから連想したものでしょうか。
私は俳人ではないし句の鑑賞もろくにしたことがないのでわかりませんが。
死んだ魚、それもあんこうのような怪物然としたつらをしている魚と妊娠した女性を重ね合わせる想像力から、ミソジニーと、(出産したことのない人間にとって)得体の知れない妊娠・出産という行為の主体たる女性への恐怖を感じなくもない。それこそメアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』で女なしで人間を創造しようとしたヴィクターの恋人、エリザベスが妖怪に変わる夢を見たこととか……。ちょっと違うかな?
本の話に戻りますが、句集って1ページ2句とか3句で収録しているものが多いので、立て続けに掲載するとこんな感じになるんだ、と思いました。黛まどか『B面の夏』(角川書店)なんかは文庫化されていますが、ゆとりをもった感じではないかな。アンソロジーという性格上致し方ないというか、そもそも句集や歌集のページづくりが特殊なものだからこそ、納得いく方法で収録するのが難しいのかも。
この句からは今月頭か、池袋は新文芸坐で石井輝男特集をやっていたときに見た「徳川いれずみ師 責め地獄」でモブの遊女が荒縄で縛られた上、逆さづりにされてサディストの女将に目をつぶされるシーンを連想する。
「明治・大正・昭和 猟奇女犯罪史」と「江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間」もバッチリ見ました。フィルムって綺麗に残るもんなんだなあ。阿部定本人の映像もさることながら、定さんを演じた賀川雪絵の産毛まで映っていることに驚愕しきりでした。
カレン・ラッセル『レモン畑の吸血鬼』(河出書房新社)を読んでいて、なぜかマリリン・ロビンソンの『ハウスキーピング』を思い出した。訳文のせい? 松田青子は特に関係ないと思うけど……。収録されている、山本茂美の「ああ野麦峠」を彷彿とさせる短編、「お国のための糸繰り」は村田沙耶香っぽい。あとキャラクターの名前が変(キツネって名前の少女が出てくるのですがそもそも製糸に特化した身体改変をする薬がある世界のようなので、日本人としておかしい! と目をつりあげることはないかも)。『レモン畑の吸血鬼』に関しては、『狼少女の聖ルーシー寮』と同様にSFっぽいような、現実を少しスライドさせたような作中の世界観がおもしろいので、読んでみてください。
「食堂車では厚手の白いテーブルクロスが使われてるの。小さな銀の花瓶が窓枠に固定されていて、温かいシロップ入りの小さな銀の容器が一人一人に配られる。列車の旅は好き。特に客車のね。いつか連れていってあげる」
「どこに」とルシールが訊いた。
シルヴィは肩をすくめた。「どこか。どこへでも。どこに行きたい?」
貨車を果てしなく連ねた列車——キネトスコープのように、ちらちら明滅する動と不動の幻影を生み出す。高速で入れ替わる無数の同一画像——その開けっ放しのドアすべての中でポーズをとる三人の姿を、私は目に浮かべた。列車の通過が起こす危険な熱い風が、クイーン・アンズ・レースの花をずたずたにする。ガタゴトと騒々しい音とがむしゃらなスピードが出ているにもかかわらず、私たちはその庭の端で明滅している。その間も列車は轟音とともに走っていく。「スポケーン」と私は言った。(『ハウスキーピング』、河出書房新社)
入隊当時、デレク・ザイガー軍曹は何歳だったのだろう。十七歳? 二十歳? マッサージを施すためにオイルを温める間、ベヴァリーはこの疑問が頭から離れなくなった。近頃では、何歳になれば人生と引き換えに財産とサービスを手に入れ、時間を物と交換することが法的に許されるのだろうか? 新品のトラック、ハワイでのハネムーン、母親の足の手術、大学で歴史の学位を取得とか? この自由市場であなたの未来を売り渡すことは何歳から許される? ウィスコンシン州のエサウでは、十八歳になれば選挙権が与えられ、タバコが吸え、結婚の申し込みや他人からの服を脱ぐようにという申し出を法的に承諾することができる。二十一歳になると、〈チェリー・ポッパー〉ワインクーラーを注文できるし、スロットのレバーを引くこともできる。二十五歳になれば、〈ハーツ社〉からファミリーサイズのセダンを借りることもできる。何歳であろうと、どうやら、空港の隣にある〈ジャマイカ・ミー・クレイジー!〉をテーマにしたモーテルで休憩することができる。そこでは、ロビーにある世界で最も汚い屋内滝を自慢にしている。みやげもの屋ではパッド入りのブラジャーとTバック、そして四十四歳になるべヴァリーがまだ理解できる年齢ではないと感じてしまうような何かエロティックな用途に使う、小さなプロペラ付き綿あめの棒にしか見えない「カリビアンの杖」なるものが売られている。(p.191「帰還兵」『レモン畑の吸血鬼』収録)
別に何が、と言うわけではないんだけどアメリカ文学に通底するような文体だったり主人公の内省だったりそうしたものを読むたびに「あーなんかぽいなー」と感じることが多い。特に『ハウスキーピング』の列車のくだりはアメリカで信じられないほど遠くまで聞こえる大きな音を鳴らしながら通っていく列車を見たことがなければうまくイメージができなかったかも(これは個々人の想像力によると思いますが、私の場合は実際経験しなければ日本のそれとかフィクションで描かれたものしか頭に思い浮かばなかった)。「帰還兵」からの引用した箇所は性的同意年齢に関して書かれているけれど、ウィスコンシン州は18歳と決めているんですね。いま取りざたされている13歳って、さっきまでランドセル背負っていたような子供だと思う。「利家とまつ」じゃなくって今は2020年ですけど……。
体調を崩して更新していませんでした。
あと設定ミスって自分で自分をアクセス制限したり、クッキーだけ食べていたら体調を崩したり、映画を何本も見て光の刺激で気持ち悪くなったり、繫忙期に突入したりしていました。
ただの言い訳なのでここらへんでやめます。
オタクっぽい洋楽(?)MiliとMelanie Martinez。前者はボカロの影響下にある感じで台湾とか日本でもライブしてます。Melanie Martinezは最近聞き始めてめちゃくちゃ良いと思った。Swimmerの雑貨のあの感じとか、ベイビーシュガリーダークネスとかAMOちゃんが言ってたころとか、MILKとVivienne Westwoodの服しか着たくないと思っていたあの頃を思い出す。
今 敏作品は幻想と現実が混ざり合う瞬間を描いているので好きだ。
そして結局確固たる現実世界を支持しているラストに落ち着くところもリアリストっぽくて良い。
Perfect Blue(1997)と千年女優(2001)は両方とも「演じる」ことと演じていない自分が混ざり合っていくような、前者はサイコホラーですが後者は思い出を振り返る形で描かれている。
Perfect Blueに関しては主人公の未麻の着ているものや口紅の塗り方も含めて心境の変化がビジュアル面でも再現されているところがすごいなと思う。千年女優も同じキャラクターがどう年を取っていくかをきちんと追っているし。つくづく今 敏が去った世の中に居続ける意味って何だろうと思う。いや、でも池上永一の新作小説買ったから早く読まないといけないんだった。
↓のアニメを使ったPV、何なんだろう……。興味深いので貼っておく。こういう90年代アニメの雰囲気最近流行ってますよね。
「Serial Experiments Lain」とか、「ブギーポップは笑わない」とか、世紀末特有の空気を味わえるようなものが好きです。なんなんだろうあのセル画の感じ。別に今のアニメをけなしたいわけじゃないし懐古厨になりたいわけでもないんだけど、画一化された作画に魅力はあまり感じない。京アニ作品も、アニメとして丁寧に作られていることはわかるけど話自体がそんなに好きじゃないのでいまいち乗り切れない。
ヒプノシスマイクのアニメはギャグとして面白かったです。ハムスターのラップとか、ラップバトルで負けた相手が爆発する描写とか。しかし約20分でキャラクターを扱えるほどの脚本力のなさが目に付く。キャラ萌え優先だからいいのだろうか?