部屋を掃除していたら、探していた昔の手帳を見つけた。意外ときちんと書いていたんだけど、「△△先生と面談」という予定について、その人が誰だったか全く思い出せなかった。たぶん常勤の先生じゃなかったんだと思うけど。たぶんそのときドイツ神学の授業を受けていたので、色々メモしていたのが面白かった。
1.歴史は、あらゆる神学体系が構築される基盤としての情報を開示することができないという信念
2.神とはどのようなものであるかについてあらかじめ決定する理性の能力への信頼
3.完全なる神は苦しむことができないという信念
J.モルトマン、E.ユンゲルによる啓蒙主義への3つの疑問(A.E.マクグラス『歴史のイエスと信仰のキリスト』キリスト新聞社、2011年)
なんか神学に関する本ってどうしても重くて分厚くて何書いてあるかわからないしドイツ語も読めないっていう状態になると思う(そもそもキリスト教になんて誰も興味がないのでしょう)けど面白いので読んでみてほしい。むしろ無意識下で欧米諸国にいた作者が何を考えていたのか、何に影響を受けたのかを探るうえでキリスト教について知ることは必須だと思う。特に海外文学とかファンタジイとか好きならちょっとくらい興味を示してくれないものかな。だいたいそういうときに自らを「無宗教」と言い切ることができるその無自覚さを羨ましく思うこともありますが。
エホバいひたまふ、エフライムは我愛するところの子悦ぶところの子ならずや 我彼にむかひてかたるごとに彼を念はざるを得ず 是をもて我膓かれの爲に痛む 我必ず彼を恤むべし(エレミヤ書31章20節)たぶん新共同訳の旧約だとp.1236に同じ箇所がある
キリスト教の神がいうところの赦罪の動機みたいですが……。
私はクリスチャンではないので、とりあえずこういう理由なのかもなと思う程度にとどめておきます。