シスターグラシアは、私が通っていた女子校の教頭の名前そのままである。ことあるごとに全ての人々は平等であると説く人だった。たしかにあのときあの世界は平等だった。私たちは数年経てば平等ではない世界に放り出されるが、シスターグラシアは永遠に平等な世界に生きている。(p.122「昼飯の角度 脚本家 大島多恵子」『帝国の女』宮木あや子,2018年6月20日,光文社文庫)
この話の主人公が通っていた学校はカトリックのようだが、「すべての人は平等である」こうした教えを欺瞞だと言い切ることができるほど醒められていない。たしかにあそこにいた教員たちは、川の底に残された石のように入れ替わることもなく、ただ6年間のスパンで卒業してゆく生徒たちを見送ることしかできない。それであるなら、その場だけでも夢見させん、と温室を整えきれいごとを説くのと、外の世界は平等じゃないと常に厳しく(?)教えることとどちらがマシなのだろうか。