こうの史代のアイロニカルな表現が無視されていないか気になっています。
「この世界の片隅に」はBLACK LAGOONなどをアニメ化した片淵監督によって素晴らしいアニメになったのは疑うべくもないが、すずの「代用品」に対する態度とか、北條家の人々の無神経な態度とか、こうの史代による漫画だとものすごくわかる(それもかなり微妙な機敏が表現されている)のだけど映画だとどちらかというとストーリーラインと原爆の悲劇性に寄っているというか。もちろん尺に収めるためいろんなメッセージを詰めすぎると取っ散らかるということは頭では理解できるのだ。
気になっているのは、何を取捨選択するかという制作側の意図はどういう風に作られているのか、忖度対象は何なのか。
もっと言うとこういう形になったのも、「正典」(Canon)になるため? と思ったり。
普遍性とはいったい誰のためのものなのか。