あまりにも蒸し暑いので『シャングリ・ラ』について書いた過去の文章を発掘した。あらすじ部分だけですが。『シャングリ・ラ』は2005年に出版されたSF小説、『シャングリ・ラ』だ。原作とストーリーに差異はある程度存在するが、2009年にはアニメ化もされていて、登場人物の姿を思い描きながら読書を楽しむことができる。
それはさておき、『シャングリ・ラ』の舞台は近未来の東京だ。しかし、いまの東京と大きな違いがある。この小説の世界では大幅に地球温暖化が進んだ結果、経済が株式市場式から各国が排出する炭素に応じた税、炭素経済式に移り変わっている。そうした中でM7.5の地震が東京を襲い、都市再生計画によって「アトラス」という、何層もある都市からなる巨大な塔への市民の移住がなされた。だが、そこに移住できたのは富裕層や官僚などの限られた人間だけで、多くの東京都民は亜熱帯化し、疫病に怯えなければならない地上で暮らしている。ひどい格差社会である。 主人公は「アトラス」という限られた楽園とそれを作り出した政府への反抗組織「メタル・エイジ」を率いる若き総裁、北条國子だ。國子をはじめとして魅力的で個性的すぎるほどのキャラクターたちが登場し、臨場感あふれる戦闘を繰り広げたり、死んだと思ったキャラクターがなぜか生きていたりして、とにかくページをめくる手が止まらない。また、ゲランやエスティ・ローダー、ラ・ぺルラなど、われわれの住む世界に存在する高級ブランドの化粧品やランジェリーを登場人物が愛用していることがうかがえるのも現実世界と『シャングリ・ラ』の境界が曖昧になっている点だと感じた。一つの作品としてあまりにも演出過剰だと言われれば、それは否定できない。だが、その「過剰さ」こそが『シャングリ・ラ』の、ひいては池上永一の作品の醍醐味だと筆者は思うのだ。
亜熱帯と化した地上で病気と隣り合わせで生きていくしかない人間の姿に、現実の面影を見てもおかしくはない。デベロッパーがなんとかヒルズなんて言いながら色んな建物を作り(六本木ヒルズは2003年開業、ただこのアトラスという巨大な塔は六本木ヒルズではなく他のものをモデルにしている。)、東京の街は発展し続けている。ついていけない者は置き去りにして。もしくは、最初からいなかったことになる。この小説で書かれた時代を感じるのは、M7.5という数字くらいかな。2011年3月以降とそれ以前ではやはり共有された物語が違いすぎる。特に東京中心主義がはびこる世の中では、池上自身は絶対にそうした東京ジャイアニズム(これ死語ですよね)には批判的だと思うが、東京にある出版社などのメディアが世に送り出すものには常に何らかの関東地方とそれ以外、みたいな空気があると思う。