最近何も考えたくなくて、Netflixで「はたらく細胞」を一から視聴し直しているけど、シルヴィア・プラスの「ベル・ジャー」(青柳祐美子訳, 河出書房新社)も読み直した。多分3年くらい前に、大学近くに住んでいたころ読んだのですが、あまりにもつらすぎたのか内容を覚えていないのでもう一回借りました。
もともと邦訳されたときの題名が「自殺志願」(田中融二訳,角川書店)って。内容的には間違っていないかもしれないけど、それにしても、ベル・ジャーという題名になっているガラスの器具の意味合いが伝わらないだろう。
あとp.146の「伝染したストッキング」という単語、「伝線」の誤植ですかね? 重版かかってなければずっと修正はされてないのかな。
冒頭が最悪に気分を悪くさせるというか、語り手の自意識がよく伝わってくるもので、都会のキラキラした生活というものに倦んでいる人にとっては刺さるだろう。
(確かにあの夏、私は変だったと自分でも思う。頭の中を駆け巡っていたのは、ローゼンバーグ夫妻のことと、高いだけで着心地の悪い服をたくさん買いこんでは、死んだ魚みたいにだらりとクローゼットの中に吊るして喜んでいる自分のばかさ加減についてだったり、小さな成功、大学をずっと優等生で通しつづけてきたプライドが、マディソンアベニュー沿いのすべすべした大理石と大きなガラス張りの建物の前では、どうしてこんなにみすぼらしく映るのだろうというようなことばかりだった)
本当なら人生を謳歌しているはずなのに。
ランチの時間にブルーミングデールに立ち寄って買ったサイズ七の黒いエナメルの靴を履き、おそろいのベルトをし、おそろいのセカンドバッグを小脇に抱え、気が向けばいつでも颯爽とあちこちに旅をする――そんな生活を夢見る、かつての私みたいなアメリカ中の女子大生たちの羨望を、一身に受けているはずだった。
(p.6-7「ベル・ジャー」シルヴィア・プラス、青柳祐美子訳 河出書房新社 2004年)
私はタウン誌『ガゼット』の記者だったし、文芸誌の編集者もやっていたし、学業上そして社会上の違反や罰を決める生徒会の書記も務めていた。有名な女流詩人や学部の教授も応援してくれて、北部で一番優秀な大学院入学と卒業までの奨学金も手にしていた。そして今は知的で有名なファッション雑誌の一番優秀なエディターの元で修行だってしているというのに、私は、荷馬車の愚鈍な馬みたいに尻込みして立ち止まってばかりいる。
「本当に興味のあることばかりです」その言葉は木でできた五セントのコインのように、空虚で意味のない音をたててジェイ・シーの机の上に落ちた。
(p.46 同上)
シルヴィア・プラスは自殺未遂を繰り返した結果、これが出版されたあとにガスオーブンに頭を突っ込んで自殺してしまった(享年30歳)。日本だとガスオーブンがある家自体少ないと思うのであまりピンとこないのだけど、ガスのホースをくわえるようなものなのだろうか。そもそもガスのホースを家で見たことがないかも……。
詩人の詩の良し悪しが私にはほとんどわからないので、アマンダ・ゴーマンのものも、シルヴィア・プラスのそれも、私にはまだ全然わからないです。「現代詩手帖」をめくってみても、なかなか。ちゃんと読めるようになりたいなあ。