(この記事は大学時代のサークル活動で使用した文章の再掲です。著作者は私です。)

朝山蜻一という作家は、あまり有名ではない。彼は作家としてのキャリアの長さの割には寡作で、この本に集められている16篇だけでほとんどの作品は網羅されていると言っても過言ではない。平たく言ってしまえばこの本は変態小説のくくりに入れられるような内容であり、さまざまな性的倒錯者が登場するミステリー小説でもある。こう説明をすると本当に意味が分からないが、みなさんも一度お読みになってみればこう説明するほかないと理解できるはずだ。二階堂奥歯のブログで2001年7月だか、最初のほうにも紹介されているので有名じゃないだろうか? 早速一文目と矛盾しているように思うけれども。
 それでは一体どのような作品が収められているのかというと、表題作でもある「白昼艶夢」は極端にくびれた腰をもつ女体を愛する芸術家とその恋人の話で、恋人はコルセットを着用して腰をくびれさせてついには死んでしまうという話である。「ひつじや物語」という作品は、たくさんの飲み屋が立ち並ぶ場所で、羊との性交専門の風俗店がオープンして人気を博すといったところからストーリーが展開していく。また「巫女」という作品は謎の新興宗教集団の教団の幹部であるサディストの男(作中ではそのように呼ばれているわけではないのだが、常軌を逸した責めばかり行うので便宜上ここではこう表現する)によって虐待されて育った巫女と、その男との壮絶な愛の記録といった風情である。ほかには、ラバーが好きな夫婦の愛の行方や、ダッチワイフ好きによって作られた究極の人形の話とか、枚挙にいとまがない。そんな、たぶんいわゆる普通の人は「引く」作品ばかりなのだが、筆者はたまらなく好きだ。
 ここまで書いているとけなしているのかちょっとよくわからなくなってきたが、この作品たちは変態小説な点だけが魅力なのではなく、読みやすいのだが決して砕けているわけではない文体や、起承転結を予測させない展開で読者を飽きさせることがないところも魅力的な本なのだ。筆者のお気に入りの文章は「虫のように殺す」という作品(ゴキブリが嫌いな男が衝動的に女を殺してしまう話)のなかの「他人とは何だ。それは網膜のほんの一部の画像ではないか。しかも最も好ましくない」という箇所である。なんだか嫌な人ばかりの世の中も、この言葉と共に生きていける気さえするのだ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA