「文豪怪奇コレクション 幻想と怪奇の夏目漱石」(2020年11月15日、双葉社)を読んでいて頭から離れなくなった句があった。

あんかうや孕み女の釣るし斬り

明治28年に発表された句らしい。魚のあんこうをさばくときって下顎の部分をぶっとい針に通して吊るすんだけど、そのあんこうの身体の重さと妊娠した女性のお腹の膨らみから連想したものでしょうか。
私は俳人ではないし句の鑑賞もろくにしたことがないのでわかりませんが。
死んだ魚、それもあんこうのような怪物然としたつらをしている魚と妊娠した女性を重ね合わせる想像力から、ミソジニーと、(出産したことのない人間にとって)得体の知れない妊娠・出産という行為の主体たる女性への恐怖を感じなくもない。それこそメアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』で女なしで人間を創造しようとしたヴィクターの恋人、エリザベスが妖怪に変わる夢を見たこととか……。ちょっと違うかな?
本の話に戻りますが、句集って1ページ2句とか3句で収録しているものが多いので、立て続けに掲載するとこんな感じになるんだ、と思いました。黛まどか『B面の夏』(角川書店)なんかは文庫化されていますが、ゆとりをもった感じではないかな。アンソロジーという性格上致し方ないというか、そもそも句集や歌集のページづくりが特殊なものだからこそ、納得いく方法で収録するのが難しいのかも。

この句からは今月頭か、池袋は新文芸坐で石井輝男特集をやっていたときに見た「徳川いれずみ師 責め地獄」でモブの遊女が荒縄で縛られた上、逆さづりにされてサディストの女将に目をつぶされるシーンを連想する。
「明治・大正・昭和 猟奇女犯罪史」と「江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間」もバッチリ見ました。フィルムって綺麗に残るもんなんだなあ。阿部定本人の映像もさることながら、定さんを演じた賀川雪絵の産毛まで映っていることに驚愕しきりでした。

カレン・ラッセル『レモン畑の吸血鬼』(河出書房新社)を読んでいて、なぜかマリリン・ロビンソンの『ハウスキーピング』を思い出した。訳文のせい? 松田青子は特に関係ないと思うけど……。収録されている、山本茂美の「ああ野麦峠」を彷彿とさせる短編、「お国のための糸繰り」は村田沙耶香っぽい。あとキャラクターの名前が変(キツネって名前の少女が出てくるのですがそもそも製糸に特化した身体改変をする薬がある世界のようなので、日本人としておかしい! と目をつりあげることはないかも)。『レモン畑の吸血鬼』に関しては、『狼少女の聖ルーシー寮』と同様にSFっぽいような、現実を少しスライドさせたような作中の世界観がおもしろいので、読んでみてください。

「食堂車では厚手の白いテーブルクロスが使われてるの。小さな銀の花瓶が窓枠に固定されていて、温かいシロップ入りの小さな銀の容器が一人一人に配られる。列車の旅は好き。特に客車のね。いつか連れていってあげる」
「どこに」とルシールが訊いた。
シルヴィは肩をすくめた。「どこか。どこへでも。どこに行きたい?」
貨車を果てしなく連ねた列車——キネトスコープのように、ちらちら明滅する動と不動の幻影を生み出す。高速で入れ替わる無数の同一画像——その開けっ放しのドアすべての中でポーズをとる三人の姿を、私は目に浮かべた。列車の通過が起こす危険な熱い風が、クイーン・アンズ・レースの花をずたずたにする。ガタゴトと騒々しい音とがむしゃらなスピードが出ているにもかかわらず、私たちはその庭の端で明滅している。その間も列車は轟音とともに走っていく。「スポケーン」と私は言った。(『ハウスキーピング』、河出書房新社)

入隊当時、デレク・ザイガー軍曹は何歳だったのだろう。十七歳? 二十歳? マッサージを施すためにオイルを温める間、ベヴァリーはこの疑問が頭から離れなくなった。近頃では、何歳になれば人生と引き換えに財産とサービスを手に入れ、時間を物と交換することが法的に許されるのだろうか? 新品のトラック、ハワイでのハネムーン、母親の足の手術、大学で歴史の学位を取得とか? この自由市場であなたの未来を売り渡すことは何歳から許される? ウィスコンシン州のエサウでは、十八歳になれば選挙権が与えられ、タバコが吸え、結婚の申し込みや他人からの服を脱ぐようにという申し出を法的に承諾することができる。二十一歳になると、〈チェリー・ポッパー〉ワインクーラーを注文できるし、スロットのレバーを引くこともできる。二十五歳になれば、〈ハーツ社〉からファミリーサイズのセダンを借りることもできる。何歳であろうと、どうやら、空港の隣にある〈ジャマイカ・ミー・クレイジー!〉をテーマにしたモーテルで休憩することができる。そこでは、ロビーにある世界で最も汚い屋内滝を自慢にしている。みやげもの屋ではパッド入りのブラジャーとTバック、そして四十四歳になるべヴァリーがまだ理解できる年齢ではないと感じてしまうような何かエロティックな用途に使う、小さなプロペラ付き綿あめの棒にしか見えない「カリビアンの杖」なるものが売られている。(p.191「帰還兵」『レモン畑の吸血鬼』収録)

 別に何が、と言うわけではないんだけどアメリカ文学に通底するような文体だったり主人公の内省だったりそうしたものを読むたびに「あーなんかぽいなー」と感じることが多い。特に『ハウスキーピング』の列車のくだりはアメリカで信じられないほど遠くまで聞こえる大きな音を鳴らしながら通っていく列車を見たことがなければうまくイメージができなかったかも(これは個々人の想像力によると思いますが、私の場合は実際経験しなければ日本のそれとかフィクションで描かれたものしか頭に思い浮かばなかった)。「帰還兵」からの引用した箇所は性的同意年齢に関して書かれているけれど、ウィスコンシン州は18歳と決めているんですね。いま取りざたされている13歳って、さっきまでランドセル背負っていたような子供だと思う。「利家とまつ」じゃなくって今は2020年ですけど……。

 

体調を崩して更新していませんでした。
あと設定ミスって自分で自分をアクセス制限したり、クッキーだけ食べていたら体調を崩したり、映画を何本も見て光の刺激で気持ち悪くなったり、繫忙期に突入したりしていました。
ただの言い訳なのでここらへんでやめます。